Traduction Babelfish


サテラビューSatellaview)は、1995年任天堂が発売したスーパーファミコン専用周辺機器であり、1995年から2000年までBSアナログ放送にて実施されたスーパーファミコン向け衛星データ放送サービスを受信するための衛星モデムである。当時の標準価格は18,000円。

データ放送は任天堂とBSデジタルラジオ局の衛星デジタル音楽放送により共同で実施され、主にゲームソフトが配信されていた。厳密には間違いとなるが、この機器で受信できたデータ放送サービスの事をサテラビューと呼ぶ人も多い。

衛星デジタル音楽放送はその社名よりもセントギガの愛称が広く認知されていたため、以降の文章においても同社をセントギガと表記する。

技術概要

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データ放送を視野に入れて開発され1984年に打ち上げられたBS放送衛星であったが、当初はその電波のうちのデジタル放送帯域の使用は、デジタル音声放送にのみ限られていた。データ放送は当時の郵政省により、事業としての目処が立つ事業者だけに免許が与えられる施策が採られており、魅力あるコンテンツを供給できるかどうかが、参入を希望する事業者たちが共通で頭を悩ませる点であった。

やがて、BS第5チャンネルをWOWOWと共用するセントギガが使用するBS放送のデジタル帯域を使用し、任天堂がコンテンツを供給するプランが認可を受けた。この事業には任天堂の資本支援により経営難に陥っていたセントギガの健全化を図る目的が含まれていた。当初はニュース、天気予報、教育番組やカラオケ番組などの配信予定もあったが、最終的には任天堂が得意とするゲームデータを中心に配信する娯楽放送の実施に落ち着いた。

BS放送(アナログBS放送)の電波は、1チャンネルあたり以下のように配分されている。BS第5チャンネルを例に挙げて説明する。

  • アナログ放送
    この部分はWOWOWのテレビ映像信号が使用していた。波形フォーマット自体は地上波アナログテレビ放送と同様である。
  • デジタル放送
    この部分は時間あたり一定容量のデータを送るしくみになっており、デジタル音声4ch分とデータ部分とを含む。WOWOWとセントギガが共用していた。
    • デジタル音声1
      WOWOW主音声(ステレオ設定時:WOWOW左音声)
    • デジタル音声2
      WOWOW副音声(ステレオ設定時:WOWOW右音声)
    • デジタル音声3
      セントギガ主音声(ステレオ設定時:セントギガ左音声)
    • デジタル音声4
      セントギガ副音声(ステレオ設定時:セントギガ右音声)
    • データ部
      衛星データ放送では、第5チャンネルのこの部分をゲームデータの送信に使用した。

任天堂は衛星データ放送の実施に先立ち、以下のような機能を持つスーパーファミコン向け周辺機器「サテラビュー」を開発した。

  • セントギガに割り当てられたデジタル放送データ部(上記参照)を通じてダウンロードしたゲームデータを、スーパーファミコン上で実行できる。
  • セントギガのラジオ音声とスーパーファミコンの映像及び音声をミキシングして、同時にテレビに出力できる。

任天堂はこれと専用カセットなど受信に必要な機器をまとめた「サテラビューセット」を「サテラビューサービスセンター」(注1)経由で希望するユーザへ通信販売し、1995年4月よりセントギガとともに本放送を開始した。また1995年11月からは一部店舗で本体セットの市販も開始された。 価格は通信販売、店頭販売とも18,000円である。通信販売の際はこの金額の中に送料が含まれ、ヤマト運輸の代金引き換え便にて配送が行われた。

注1:「サテラビューサービスセンター」はデータ放送の開始に先立ち、機器の通信販売、受信機器の接続方法や放送内容等の問い合わせに応じる窓口として設置され、1995年2月13日より受付業務を開始した。問い合わせ先となる電話番号には東京、大阪の2番号を用意し、任天堂と当時番組のスポンサーとなっていたベネッセコーポレーションにより共同運営が行われていたが、ベネッセの撤退に伴い1996年夏に業務を終えた。以降番組内容に関してはセントギガが、受信機器に関しては任天堂がそれぞれ個別に対応することとなった。

サービスの概要

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データ放送サービスは衛星データ放送 スーパーファミコンアワーの名称で、1995年4月23日から広告収入による無料放送の形態で開始された。よってデータ放送を受信するには機器を揃えるのみでよく、セントギガとの受信契約は特に必要としない。

放送は毎日昼12時から深夜2時まで行われ、基本編成としてゲームなどの番組データが30分ごとに交替で放送された。さらに夕方を中心とした数時間はラジオ番組とデータ番組を同時に放送し、それぞれを連動させた音声連動番組の時間として割り当てられていた。これは年度により時間帯・総放送時間が異なる。セントギガのラジオ放送は有料放送であり通常はスクランブルが掛けられたが、この音声連動番組の時間帯はノンスクランブルで行われ、セントギガとの契約の有無、サテラビューの有無に関わらずラジオ音声を聴くことが可能であった。

このように他のメディアとの連動や、一般のテレビやラジオと同様に番組編成が組まれた本格的なデータ放送サービスの実施は世界でも初めての試みとなり、一部ではマルチメディアの代表として、またラジオやテレビに続く新しい放送形態として期待されたが、人々にその目新しさや面白さは伝わりにくく、サテラビューの普及は思わしくなかった。

普及しなかった原因

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サテラビューが普及に至らなかった主な原因には以下のような点が挙げられる。

  • 通信販売というユーザーにとって煩わしい販売形態を取っていたことに加え、店頭販売の開始が遅れた
    既存の衛星放送受信機との接続可否を確認するため通信販売という形式を取ったが、店頭では購入できないという事態を生じさせてしまい販売時期を逃がした。
  • 衛星放送を利用する敷居の高さ
    衛星放送機器はまだ高価であり、主な対象としていた若年層が機器を所有、占有するのは困難であった。データ放送サービスが有料であるという誤認も存在した。
  • 任天堂が積極的な広報活動を行わなかった
    テレビCMは他のゲームソフトと同様に1か月程度しか放送されなかった。さらにどのような内容の番組が放送されているのか分かりづらく、これらを知る術が一部のゲーム誌や新聞に限られていた。
  • 次世代ゲーム機の普及とスーパーファミコン市場の縮小
    データ放送開始時点でプレイステーションセガサターンなどの次世代機がすでに発売されており、ゲーム業界やゲームファンの話題はこれらの価格競争やソフトに集中していた。

セントギガと任天堂の決裂

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このように様々な悪条件が重なったが、データ放送は規模を縮小しながらも数年に渡り継続されていた。しかし1998年京セラとの提携、BSデジタル放送へのさらなる事業拡大で乗り切ろうとする任天堂に対して、減資を伴うその手法にセントギガの前経営陣を中心とした株主らが反対し、任天堂はデータ放送事業の継続を断念、スポンサーからの撤退とセントギガへの出向者の引き揚げを決定してしまう。この騒動の結果、1999年4月以降はセントギガ単独で放送サービスが行われると同時に、サービス名称もセントギガ衛星データ放送に改められた。

コンテンツ供給者であった任天堂の撤退により番組の再放送、放送時間の縮小が繰り返され、サービスの終了は避けられないものとなったが、単独運営を開始した翌年となる2000年6月30日午後11時でデータ放送サービスは終了した。当時のセントギガは放送終了の理由を「新規スポンサーが獲得できず放送継続は困難と判断したため」と説明している。